2018年12月26日

生命の輝きのままに



誰しも、人の内に守られた大切な宝物をこじあけることは出来ない
神秘さとあやうさが共存する内なる働きがもたらす
繊細にして大胆な行動に、自ら驚くこともあるだろう

わが身の行動に自らを疑い、
思いもよらない自らの言動に恐れ、
まるで鋭いナイフでも隠すように、
純粋な輝きまで隠してしまう

いったい誰がその声を
偽ることなくとらえることが出来るだろう

自らの声は
怒りや悲しみの温床として
真実の声を隠しこんでしまうというのに

人はなぜか
その声の奥に秘めた輝きを見過ごしてしまう

それはとても愛らしい
まるで小さなつぶやきのように
内なる世界で自らが気づくときを待ち続けている

それゆえに、物知り顔で人の内に踏み込むことは
許されない行為である

自らにこそ訪れることを許された
それは安らぎの瞬間なのである

誰が真実をつきとめるのか
いかに人が内なる世界の枠を定めても
誰も正しい答えには至れない

真理とはいかなるものか、人の心とはどうあるものか、
人は追い求め、その答えを得ようとする

その答えの行く先も
探し出した答えの正しさも
求めた人には判断ができない

では、なぜ、求めたのか?
これが答えであり、真実の問いである

自らを欺くことが出来ないように
真実の問いをごまかすことは出来ない

人は気付かなければならない
この人生において、かけがえのない
大切な答えが見過ごされていることを

それに気付かず
ただ目の前にある日常に翻弄されるのが
人の生き方だとあきらめてやり過ごす

誰も気づかない

生命のサイクルにこめられた
真実のメッセージに

生も死も避けようのない運命と嘆く
その真実を語る前に
まず知っておくことだ

この世界は緻密に計算された
一本一本の柱を積み上げて
天と地の融和のために
存在している

内なる扉に足を踏み入れたいと望むなら
まず自らの憶測を捨てなければならない

人が内なる世界を探訪するのは
解決できない問題に光を求めるばかりでなく

そもそも答えを探し出すことが
生きる目的として組み込まれているからだ

なぜ、そのような問いが人生に必要かと言えば
心というものが分けようのない
光の一房であるからだ

人が探し求めるのは心ではない
心の仕組みや在り方でもない

ただ知っているだけなのだ
その心の奥に見え隠れする
一房の光を

それをたぐりよせれば
源の光へとたどり着くことを

人は忘れたことなど一度もない
この泉の絶え間なく流れる水音の調べ
風に跳ねる日差しの戯れ
空から舞い降りる新鮮ないぶき
天に清々しく響く生命の鐘

すべて知っている
すべて覚えている
忘れることのできない
大いなる源がすべて内にあることを

posted by RFT 佐藤純子 at 17:45| 日記